仏教のわかる話

成城山耕雲寺

第29話 ほとけさま

私たちは自分の両親から生まれましたが、その両親もまたその親から生まれ、これをたどっていくとおおもとの命の根源に突き当たります。
このいのちの根源の存在を多くの宗教が様々によんでおります。キリスト教で言えばヤーウェ(エホバ)、神道でいえば天之真中主大御神、イスラム教ではアラーなどです。しかし仏教にはこうした決まった呼称がありません。(仏がそれに近い呼称です。)
なぜないのかといえば、仏教とは誰もがそうしたいのちの根源である仏となれる要素を有しているからです。となれば他の宗教のように唯一の存在ではなく、数多くの仏が存在することになります。
つまり天地、大自然、大宇宙が一つの輝ける星に支配されているのではなく、無数に充満する星によって成り立っているという考えなのです。

そのため総称した呼び名はありませんが、それぞれの仏の働きを象徴してさまざまな仏の呼称となっています。お釈迦様もその一人です。お釈迦様の前に仏となった人が六人おり、この七人が過去仏といわれ、未来において過去仏と同じ真理を説く仏が弥勒菩薩。そして宇宙に遍満している仏のなかで過去仏と同じ真理を説く仏が数多くおられ、私たちがよく知っている阿弥陀仏、薬師仏などの如来がその代表です。それらの仏も以前は人間であり、そして人間を超越して仏となったのです。ということは、私たちも仏になれる可能性があることになります。

死ぬことを「成仏する」といいますが、成仏とは仏に成ることです。仏に成るためには、六道輪廻の輪から抜け出し、仏への道を歩まなければなりません。では、どうやって輪廻の輪から抜け出したらいいのでしょう。
それには、本来あるべき純粋な自己にたちかえることでありただ単に死んでも仏に成れるわけではないのです。本来あるべき純粋な自分とは仏そのものの姿です。自我のない、純粋な自分、本当に尊い存在である自分に目覚めることができれば誰もが仏になれるわけです。

ところがこの目覚めとは非常に難しく、そう簡単に目覚められるものではありません。しかし、簡単でないにしても自分というものが、仏とおなじいのちの根源を内在している存在であることを、まず、認識してください。


 
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