仏教のわかる話

成城山耕雲寺

第42話 聖徳太子の功績

聖徳太子は飛鳥(あすか)時代に用明天皇の第二子として、宮中(きゅうちゅう)の厩戸(うまやど)の中で生まれたため厩戸皇子と呼ばれた。
これは後世景教(ネストリウス教)が中国に伝来してからキリスト出生の伝説によってつくられたという説がある。
太子は生まれながらにして聡明で一時に10人の訴えを聞いて誤りがなかったといわれている。
幼少の頃蘇我、物部両氏の反目を目のあたりにみ、動乱の真只中にあって自らも参戦し、争いの凄惨さと平和のありがたさの両方を感じとられていたという。
太子は推古天皇の時20才で皇太子に立ち、摂政(せっしょう)として国政を輔けることになり、政治家として冠位の制定、憲法の選定、国史の編纂(へんさん)などの大事業を進めると共に、一方では儒教、仏教の研究をも熱心に行った。
その意味で憲法十七条の制定、三経義疏(さんぎょうぎしょう)などの業績を残し、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺を建立したのも、仏教の信仰の気持の表れであろう。又、国政等に数々の業績を残し仏教による国内統一にも努めたのである。特に「憲法十七条」では…二に日(いわ)く篤(あつ)く三宝を敬(うやま)へ。
三宝とは仏法僧(ほとけのりほふし)なり。則ち四つの生まれの終の帰(よりどころ)、万(よろず)の国の極めの宗なり(中略)…人尤(はなは)だ悪しきもの鮮(すくな)し、…
太子は仏教の主眼である仏、法、僧の三宝を篤(あつ)くとかれたのである。現在日本に伝わっている仏教は聖徳太子の功績によって今日まで伝来されているといっても過言ではないのです。


 
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