仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

「意地 (いじ)」

「意地悪」「意地を張る」「片意地」などと使われる「意地」という言葉があります。「意地」とは本来、素直な心のことで、何ものにもとらわれず、片寄らぬ純粋無垢の心、またはそのような心の状態だといっていいでしょう。
人間の体には、対象を認識し受容する役目を果すいくつかの器官があります。物を見る「目」、声や物音を認識し聴き分ける「耳」、においをかぎ分ける「鼻」、味を感知する「舌」、暖かさ冷たさ、痛みなどを感じる「触覚器官」、これらを五感といいます。
そして身体のすべてのはたらきを支配し、統括する役目をになっているのが六番目の「意識」です。「物ごとを意識する」とか「無意識のうちに」などと使われる意識のことで、五感を制御するコントロールセンターのような役目だといえば分かりやすいでしょう。
この「意識」は統轄制御の役目をもち、あらゆることが発生、成立する根源となるところなので「意地」ともいいます。地は基地の「地」だと思えばいいでしょう。「意地」が安定していないと五感からの情報処理に誤作動を生じ、思わぬ失敗をしたり、罪を犯すということにもなりかねません。
だから意地は、本来冷静で、素直で、片寄らないものでなくてはなりません。その意地が安定を欠いたとき、「意地悪」や「片意地」に陥るのです。

「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師、著より


 
成城山耕雲寺成城山耕雲寺
成城山耕雲寺
東京都世田谷区砧7-12-22 電話 03-3416-1735 FAX 03-3416-0392
Copyright© 2006-2008 seijozan kouunji All rights reserved.