仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

引導(いんどう)

「もうそろそろ彼には引導を渡すときがきたようだ」とか「ついに部長から引導を渡されたよ」というように、一般には「引導を渡す」という言葉は、終止符を打つ、最後通告といった意味で使われます。 これは、葬儀という人生最後の告別式のとき、導師の僧から言い渡されるのが引導あるところから、こうした意味に用いられるようになったものでしょう。
漢字そのものの意味からみれば「引導」は「案内する」ということです。仏教では、本来、人々を教え導いて仏の道に引き入れることを意味しています。 日本において「引導」が、正者を導く意味よりも、死者を導く意味において定着しているのは、鎮魂という考えによると思われます。 生きとし生けるものにとって生への執着は、何にもまして強いものがあります。
生への欲望は食欲に似ているといいます。いつでも好きなときに食べられるとわかっていれば食物への執着はそれほどおこらない。 しかし、夜中におなかをすかして、なにかないかと戸棚や冷蔵庫を探してみて、なにもないとなると、空腹感は倍増する。 生存欲も同様で、病気にならなければ健康のありがたさを意識しないが、もし「あなたの命はあと一週間です」と言われれば、とても平静にはうけとめられない。 多くの場合、人は思いをこの世に残しながら死んでいく。 ことさら昔の人々は死者の霊に対して、恐怖の念をいだいていたことと思われます。
葬儀のときの「引導」には、「どうか安らかに眠ってほしい」という死者へのねぎらい、感謝、いたわりの気持がふくまれていることはもちろんですが、実際のところ死んで意識がなくなってしまってからではなく、生きているうちに迷いや悩みを払拭してあげることが重要なのです。 仏教は生きていくための大切な教えなのです。

「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師、著より


 
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