仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

愚痴(ぐち)

   言っても仕方ないことをくどくどと嘆くことを『愚痴をこぼす』と言います。いやなことや悩みがあったりしたときなど、心許せる親しい友人に、胸の内を聞いてもらいたくなるようなことは誰にでもあるでしょう。本来『愚痴』とは、物事の道理をわきまえず、正しい判断力がなく、心が迷い、誤った行動に陥ることで、略して「痴」ともいいます。そもそも人間の心には、いかなる人にも「三毒」といって、「貧・瞋・痴」(とん・じん・ち)の三つの煩悩があります。貧とは、金銭欲・名誉欲・食欲といったあらゆる欲望のこと。瞋とは、怒りのことで、ささいなことにもカッとなる無用な腹立ちのこと。痴とは。前述のとおり愚痴のこと。この三毒は煩悩の根源であり、これがあるために人生には苦悩も多く、試行錯誤をくり返すわけです。しかし、人間には煩悩があればこそ、今日のように科学的な進歩をし、文化的にも発展を遂げてきたのです。たとえば乗り物や電化製品などは、少しでも楽をしたいという欲望のはたらきがあったからこそ、生活を豊にしてくれているのでしょう。
 また、苦悩に直面し、それをのりこえたとき、人は大きく成長していくのです。煩悩はいわば庭の落ち葉と同じで、あまり積もらないうちに掃き清めなければならないし、あるいは堆肥として畑の作物にも活用することができるのです。すなわち煩悩も、上手にコントロールすれば人間の生活の上で大きな力となっていくものです。

掃けば散り、払えばまたも散り積もる、人の心も庭の落ち葉も

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より


 
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