仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

第51話 食堂(じきどう)

 「もうこんなことは、金輪際しません」と使われるこの言葉は、物ごとの極限を表現する場合の、絶対にとか、どんなことがあってもという意味で使われます。この「金輪際」は、古代インド人が考えた宇宙観に起源をもっています。それによると、空虚のなかに風輪(ふうりん)という円筒状の層が浮かんでいるという。その層の厚さは一六〇万由旬(ゆじゅん)。由旬というのは距離の単位であって、一説によると一由旬は七キロメートルといわれる。この風輪の上に水輪(すいりん)がある。この層の厚さは、八〇万由旬である。水輪の上に金輪(こんりん)という層がある。その厚さは三二万由旬で、直径は一二〇万由旬である。この金輪がこの世界の大地や山をささえているという。
 金輪の最下端、すなわち水輪との境目を金輪際という。
 つまり大地の底というわけで、金輪の上に住んでいるわれわれにとっては、もうこれ以上どんなことをしても進むことはできない。これより先はないというぎりぎりの線ということで、転じて物ごとの極限をいう言葉となり、最後の境界線を表す意味で用いられるようになったものです。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より


 
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