仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

第56話 三昧(さんまい・ざんまい)

  ひとつのことに熱中している状態のことを、よく「○○ざんまい」といいます。たとえば釣りに熱中しているならば「釣三昧」、野球ならば「野球三昧」などです。この「三昧」という言葉はインドの古代 語、サンスクリット語の「サマーディ」を音訳したもので、本來は雑念を離れて心を一つの対象に集中し散乱しない状態のことをいい、気負いやとらわれのない素直にそのものになりきっている姿のことです。
 野球で、ホームランを打ってやろうという気負いがあると、結果は三振に終わるようなもので、「勝ちたい」という目的意識が強いと、かえって普段の実力の半分も出せないまま敗退してしまうという例はいくらもあります。だから、試合ではリラツクスすることが要求されるのですが、リラックスすることに気持ちがとらわれていると、かえってリラックスはできないものです。また、眠れぬ夜に、眠らなくては、眠らなくてはと思っていたら、とうとう夜が明けてしまったという経験をお持ちの方もあるでしょう。妄想や雑念のない純粋な姿は、美しく尊いものです。子どもの発する言葉の中に時々キラリと光る言葉 があります。子どもとしての素朴な疑問や素直な気持ちから出た言葉です。それを『子どものつぶやき』といっています。
 しかし成長するにつれてだんだんと光る言葉をいわなくなってしまいます。それは、ものごとの関係や道理といったものを理解してくるからでしょう。大人の第一歩と喜ぶべきことなのですが、寂しい気持ちもいたします。大人が忘れてしまった純粋無垢な姿が子どもにはあります。雑念や妄想、勝敗や損得にとらわれず、澄んだ心でそのものになりきっている姿から、大人が教えられることも多いのです。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より


 
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