仏教から生まれた日常の言葉

成城山耕雲寺

第73話 相続(そうぞく)

 もとはインド・サンスクリット語の漢訳語。仏教では、生きものの本体ともいうべき心というものは変化して一瞬たりとも同じ状態を続 けることはありえないと考えます。それでは、たとえば自分ということで考えてみると、一瞬前の自分といまの自分とは別の人間というこ とになってしまい、自分としての一貫性がまるでないことになってしまいます。それならば、たとえ人を殺したとしても、人を殺したとき の自分といまの自分とは別人なのだから何の罪にもならないということになります。この疑問に答えて、一瞬一瞬は変化をしていくが、一 人の人の心はそれなりに一貫性をもってその人の心であり続けることを説明したものがこの「相続」ということばです。

 確かに心そのものは一瞬ごとに消え去るものではあるけれども、その瞬間での行い、あり方というものは必ず何らかの潜在力を残して次の 瞬間の心に引き継がれていくと考えます。

 この「非連続の連続体」ともいうべきものを「相続」といいました。
いま、「相続」というと「遺産相続」ぐらいしか思い浮かばないのですが、本来の意味からすれば「相続」とは「心の相続」をいうのです。 遺産をめぐる争いはよくあることですが、争うほどの遺産のない人ほど、いわば「心の相続」が可能と思えます。となると、子どものため にこれといった遺産を残さないのが親心というもので「子孫のために美田を残さず」ということわざはまことにそのとおりといえます。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より


 
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