伝統ある歴史

今からおよそ290年前(安永5年 1776年)旗本の頭領であった水野十郎左衛門が非業の死をとげた事から、水野十郎左衛門の菩提を弔う為に、愛妾が出家をし「釣月」という法名を頂き、この耕雲寺(当時の名称は耕雲軒)を開創したものです。以前は新宿角筈に草庵をかまえていましたが昭和20年に戦禍を受け本堂伽藍を一切消失し、昭和27年に世田谷砧の地に移転しました。
当寺は禅宗の中の曹洞宗に属し、大本山は福井の永平寺と横浜・鶴見の総持寺です。