第34話 祗園(ぎおん)

「平家物語」の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という文句は有名です。また「祇園」といえばお祭りや京都の舞妓さんを思い浮かべる方も多いでしょう。「祇園精舎」は、お釈迦さまの時代にインドで、祇陀太子(ぎだたいし)という王子がもっている公園に給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)が建てた仏教教団の僧院のことで、「祇樹給孤独園」(ぎじゅぎっこどくおん)を略して祇園精舎というようになったものです。

お釈迦さまの教えに感銘を受けたお金持ちの給孤独長者が、僧院を建てるのにふさわしい場所として祇陀太子がもっている公園を売ってくれるよう太子に頼んだところ、太子は売る気がなかったので「金貨を地面いっぱいに敷きつめたら売ってもよい」と言いました。
そこで長者は金貨を敷きはじめました。王子は「たとえとして言っただけで、売るつもりはない。どうしてこんな大金を投じて公園を買おうとするのか」とたずねました。長者は「お釈迦さまと弟子たちのために、ここに僧院を建てるのです。そのためのお金は惜しくはありません」とその熱意を語りました。太子も心うたれて「私の名前をつけてくれれば、快くゆずろう」ということで、建物をつくり僧院を完成することができた、というお話が残っています。

その後の仏教教団発展の根拠地となり、その名を後世にとどめたのです。日本で「祇園」が使われるようになったのは、今から1,100年程前、京都で悪病が大流行した時に、藤原基経(ふじわらもとつね)が、お釈迦さまのご利益にあずかるようにと「祇園感神院」(ぎおんかんじんいん)という祠(ほこら)を建てて病魔退散を祈願しました。後に「八坂神社」(やさかじんじゃ)と改名されましたが、そのお祭りを「祇園まつり」といい、その門前町を「祇園」というようになったものです。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より