第48話 言語道断(ごんごどうだん)
あまりにもひどく言葉も出ないほどだ、とんでもないこと、もってのほかという意味で使われる「言語道断」は仏教に語源をもっています。
深遠な真理や究極の境地は、言葉で表現する道が断たれる、言葉では表現できないほど奥深く重大なこと、というのがこの語の意味です。
日頃私たちは、喜びや悲しみの感情、衷心よりの感謝の意、愛、真心といったものをどう表現したら相手に伝えることができるかと悩んでしまうことがあります。お祝い事などで相手をほめたたえ喜びの感情を表現したり、あるいはお悔やみに行って遺族の気持ちをくみ取り、悲しみの感情を言葉でもって相手に伝えるという場面では、言葉を使えば使うほどかえって白々しくなってしまうこともあります。そこには言葉では表現しきれないものがあるのです。そうはいっても言葉を使わなければ何も伝わらないというのが実情でしょう。言葉は真意を伝えるためのひとつの手段にしか過ぎないのです。
表面的な言葉のみにとらわれていると、それこそ「言語道断」ではないでしょうか。
平安時代頃には「言語道断」は、言葉で表せないほどすばらしいという賞賛の意味でも使われていたようですが、現在では悪い意味合いでしか使われなくなりました。
静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より