/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第87話 長老(ちょうろう) どこの世界でも「長老会議」といえば年をとったおじいさんたちが「若者たちにはまかせられねェ」などと言っている光景が目に浮かびますが、この「長老」ということばは、もともと「老人」のこととはかぎりませんでした。 語源はインド […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第86話 知識(ちしき) いろいろなことに精通してものしりな人のことを、一般に「知識人」といいますが、もとは「善知識」というインドの仏教の言葉で、「よい知り合い」「よき友」という意味をもっています。教えを説いて、人を仏教に導き、迷いを捨ててさと […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第85話 畜生(ちくしょう) 「こんちくしょう」というように、他人をののしる言葉として使われたり、自分が失敗した時などに言ったりしますが、一般的には動物のことを「畜生」といいます。だから、「こんちくしょう」などというときには、人間とは思えぬ、あるい […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第84話 弾呵(たんか) 「見損なっちゃいけねえ!」と、威勢よく歯切れのいい言葉でまくしたてることを、「たんかを切る」といいます。この「たんか」は「弾呵」と書きます。 お釈迦さまが存世当時、その教えを篤く信仰した人に「ユイマ(唯摩)」という人 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第83話 旦那(だんな) 「旦那さん、お安くしときますよ」とか「お宅の旦那さんは…」などとよく耳にしますが、妻が夫を、使用人が主人を、商人がお客を呼ぶときに使われる「旦那」という言葉があります。 もともとはサンスクリット語の「ダーナ」を音訳し […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第82話 だらしない 節度やしまりのないことを「だらしない」といいます。お母さん方も「この子はだらしない子だね」とか「こんなに散らかして、だらしがないよ」などと日常使っているこの言葉のルーツとしては次の二つが上げられます。 ① 駄臘次(だろ […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第81話 単位(たんい) 高校や大学などで、全教科に、決められた「単位」があって、それを履修することを「単位をとる」といいます。また、重さや長さを測定するときに使うグラム、リットル、メートルなども「単位」と呼ばれています。この「単位」という語は […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第80話 脱落(だつらく) 「脱落」とは、字のとおり読めば脱け落ちることで、「競争から脱落する」というように使われ、一般には落伍の意味に使われています。しかし、もとは落伍という意味はなく、さまざまな煩悩から脱してさとりの境地に達することで、「解脱 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第79話 達者(たっしゃ) 「お達者でなよりです」とか「お達者ですか」と、体の健康状態を表すことばとして使われる「達者」は、本来「目標に達した人」つまり、さとった人のことをいいます。 さとった人には「迷い」とか「むさぼり」とかがないから、悩みも […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第78話 他生の縁(たしょうのえん) 「袖すりあうも他生の縁」は、よく耳にすることわざです。 袖がほんの少しふれ合っただけでも、浅はかならぬ縁があるからだということです。お互いにこの世に生きあわせたことさえ不思議なご縁なのに、道で出会う人々が衣服がふれ合 […]