第38話 『仏教と托鉢(たくはつ)』
「托鉢」という字を辞書で引くと、修行僧がはちをもって家々の前でお経を読み、米や金銭の施しを受けることとある。
最近では見かけることが少なくなってきたが、時々街頭で墨染めの衣にあじろ笠をかぶり右手に鈴をもち左手に鉢をかざしお経を読んでいる姿を見かけることがある。
修行道場では今でも定例的に行われ、この托鉢は修行の一貫として釈迦在世以前よりインドで行われていた。「頭陀行」(ずだぎょう)とも「乞食」(こつじき)ともいわれた。
乞食という字からは、一般的な物貰いと受け取られるが、意味は全然違い財産を捨て無一文になった僧侶が、自分の生命を支えるだけの食事を信者より喜捨され、喜んで施す人びとに功徳を与え、施し物を有難く頂くというところに意味がある。
人に頭を下げて物を恵んで貰うことは僧侶とて勇気のいる事です。托鉢をすることにより生かされている有難さを体得するのである。
托鉢することにより施しをする者の喜び、施しを受ける者の喜びを分かちあうことができる。