第80話 「地蔵買うた」四天王

四天王とは古くからインド人の間で須弥山(しゅみせん)という天上界にある大宇宙の四方の門を守護する神として信仰され、のちに仏教にとり入れられ、五世紀に書かれた『俱舎論』(ぐしゃろん)にくわしく説明されている。今日でも寺院の本堂の仏像を安置する壇を「須弥壇」と呼ぶが、奈良法隆寺の金堂にみられるように、釈迦像のまつられた須弥壇の四隅に四天王像がおかれている。

東南北西の順に持国天(じこくてん)、増上天(ぞうじょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)と呼ばれ、それぞれに頭には宝冠をつけ、身体には鎧をつけ、足許には鬼を踏まえて眺める人びとをへいげいしている。暗記するには「地蔵買うた」と憶えればよい。持物は割合自由で、槍、鉾、剣などをたずさえているが、ただ多聞天だけは塔を持っている。

聖徳太子が奈良時代に物部氏を滅ぼすために、大阪に四天王寺をたてた頃から平安時代にかけて四天王の像が盛んにつくられたが、密教の守護神である十二天像が出現してからは影をひそめてしまった。しかしこの四天王の言葉は一般に受け継がれ、特殊な部門にすぐれた四人を一括して四天王と呼んだ。たとえば角力の立浪四天王といえば、時津山、北の洋、安念山、若羽黒の四力士であり、徳川家康の四天王といえば酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝というふうに。
この四天王を統率する神が須弥山の頂上に住むという帝釈天(たいしゃくてん)で、人びとの善悪邪正をよく見極める神として知られ、東京柴又の帝釈天は有名である。

出典:松涛弘道著「誰もが知りたい217項 仏教のわかる本」廣済堂出版
1974年出版 36ページ