第91話 「金色夜叉」の解題
日本人は商談する時しつこくねばるが、時間切れになるとあっさり妥協するという。今までの自己主張もどこへやらで、変心が早いのはその民族性によるものか。
これはちょうど、女性の心理に似ている。かつてフランスのポール・ジュラルディという詩人は、「女性とは追いかけられ、自分を守り、そして身をゆだねる」といっているが、攻撃されて守りきれず、あっさりあきらめて降参するところは日本人そっくりだ。
一高生間貫一は銀行家富山唯継の富に目のくらんだいいなずけの鴫沢宮を熱海の海岸で罵倒するが、このお宮のすばやい変心を、尾崎紅葉は夜叉にたとえて『金色夜叉』を書いている。では一体、夜叉(やしゃ)とは何か?
これは昔、インドにいたという動物の形をした悪鬼で、梵語で「ヤクシャ」と呼び、村落に出没しては人畜に危害を与え、その精気を飲むというので人びとから恐れられていた。のちに仏教にとり入れられ、毘沙門天に属し、正法を守る八部衆のひとつに数えられた。気が早いところから、いつのまにか女性視され、釈迦に帰依した食人鬼の鬼子母神も夜叉の一人である。
孔子は、『論語』の中で「女人と小人は養い難し」といい、シェイクスピアも『ハムレット』の中で「か弱き者よ、汝の名は女なり」といっているが、どういう訳か古今東西を問わず、ひとに身をゆだね、変心するのは女性に多い。
出典:松涛弘道著「誰もが知りたい217項 仏教のわかる本」廣済堂出版
1974年出版 38ページ