第92話 賽の河原のお地蔵さん

地蔵菩薩というのは、ちょうど大地に草花の種子をまけば成長し、開花する力があるように、すべての人びとを救う力があるというので、地蔵と名付けたという。この菩薩は野の仏としてほかのどの仏よりも身近かに信仰され、どの仏像よりも多くつくられた。この地蔵菩薩の信仰が一般の人びとの間に急速にひろまったのは、賽(さい)の河原で迷っている幼児を救った「地蔵和讃」の物語が普及した鎌倉時代以後のことである。

うらがなしい鐘の音にあわせて、「十にもならぬみどり子が、賽の河原に集まりて、父こひし母こひし、こひしこひしと泣く声は、この世の声とはことかはり、悲しさ骨身を通すなり」とうたわれた地蔵和讃は、愛児を失った親にとって涙をそそられるものがある。今はなき子が賽の河原で小石をつみつみひとりで無心に遊んでいるところを、地獄の鬼が無残にもおしくずしてしまう。ここに折よく地蔵菩薩があらわれて、なげき悲しむ子を抱きとめ救いとる。この場面にあってはじめて親は安堵の胸をなでおろすのである。

この物語は、滿米聖人が地獄で閻魔王に出会った体験談をこの世に帰って語ったという、鎌倉時代につくられた『矢田地獄縁起』の絵巻物に基づいている。現在この絵巻物が京都の矢田寺に二巻、東京の根津美術館に一巻保存されている。これをみると、いかに当時の人びとが地蔵菩薩に願いを託していたかを知ることができる。

出典:松涛弘道著「誰もが知りたい217項 仏教のわかる本」廣済堂出版
1974年出版 102ページ