第27話 観念(かんねん)
あきらめる、または覚悟するという意味で使われる観念という言葉があります。 その他、観念は、ものごとに対する考え方、認識を意味する場合もあります。 しかし一般には、本来の意味が逆転して使われていることが多いようです。「観念」とは本来、心静かに知恵によって一切を観察すること。または、ものごとを深く考えたり、見極めるという意味です。たとえば、坐禅に打ち込んでいるとき、はじめは心が充実していても、しだいに雑念や妄想が湧いてくるということがあるものです。 そんなとき、雑念と苦闘しながら、あくまでも坐り抜くことによって、「一寸坐れば、一寸の仏」といわれるように、それ相応の功徳はあるものです。そのような体験と積み重ねが、しだいに本物となっていくわけで、積み重ねるというプロセスが大切であり、実はそこそこ大きな意義があるのです。これは坐禅に限ったことではなく、書道や茶道にもあてはまるでしょうし、スポーツや音楽にもいえることです。 またいろいろな職業でも同じことがいえます。積み重ねや試行錯誤のくり返しの果てに、本物の「観念」が身について、いつとはなしに完成され、まとまっていくのではないでしょうか。
静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より