第35話 『瑩山(けいざん)禅師の目指したもの』
曹洞宗を開かれた道元禅師と共に忘れてはならない方に、瑩山禅師がおられます。
瑩山禅師は文永5年(1268年)越前瓜生家に生を受け母上の観音信仰に感化され、8才の時に永平寺三世徹通禅師のお小僧になられたのです。
18才より越前宝慶寺、京都万寿寺、比叡山延暦寺等を参学の為歴訪し、27才のとき徹通禅師に従って加賀大乗寺に移られました。
ある日徹通禅師が「平常心是道」(へいじようしんこれどう)の公案を挙示されるのを聞き、惑い、迷いが消え大悟されました。
32才で徹通禅師より嗣法(しほう)(法をつぐ)され大乗寺の二世住職になられ、その頃より「坐禅用心記」を撰述され、やがて大乗寺を明峰素哲禅師に譲り永光寺(ようこうじ)に移られました。
曹洞宗の発展を祈念され開山塔(五老峰)をお建になりました。
ついで能登の真言宗の諸岳寺(もろおかでら)を禅院に改めて諸岳山(しょがくさん)総持寺を開かれ、後醍醐天皇よりの十種勅問にお答えになり、日本曹洞紫賜出世道場の論旨を受けられました。
再び永光寺に帰山され引続き伽藍を整備をされると共に、「瑩山清規」「勤行條文」など撰述されたが、正中二年(1325年)病にて58才でお亡くなりになりました。