第39話 『木魚について』
ポクポクと軽快な音を出す木魚。あの音を聞くと郷愁を感じるという人も少なくありません。あの円い奇妙な形をした鳴器はいったいどうしてできたものか、と不思議に思ったことはありませんか。
だいたい生臭いものを禁じている仏教なのに、どうして魚が本堂に持ち込まれるか、よくよく考えれば、おかしな話です。まさに一休さんのトンチ話みたい。
もとの形はもっと細長く、まさしく魚の形に木を彫って人を集めるときに叩いていたもので、現在では人集めというよりも、読経の調子をととのえるために使われているのがふつうです。
中が空洞になっている円い形の木魚を魚鼓(ぎょこ)といい、板になっているものを魚版(ぎょばん)とよびますが、いずれにしても魚をかたちどったもの。
なぜ魚なのかについてはさまざまな説がありますが、きっと魚の目は閉じることがないため、目を見開いて修行に励むように、一時(いっとき)たりとも油断なく歩め、といった戒めのためにこれを打つようになったのだろうといわれています。
昔、怠け者のお坊さんが、畜生道に落ちて魚になり、これを戒めるために魚を打つようになった、ともいわれています。戒めはともかくとしても、確かに木魚を打ってご供養をしていると、集中でき、怠け心がなくなってしまいますから、その効用は確かなようです。