第41話 お釈迦さまと阿弥陀さま

お釈迦さまはインドに実在した人物で、35歳の時にお悟りを開かれて仏陀(ぶっだ)「覚者」(かくしゃ)となられた方です。
一方阿弥陀さまは実在した仏ではなく、大乗仏教が興(おこ)ってから時間や空間を超越したすべてのものを救う仏様(ほとけさま)としてあがめられたのです。

お釈迦さまはお悟りをひらかれてから45年間インド各地を遊行(ゆぎょう)され、沢山の人々にお教えを説きしめしたのです。
その説法の旅の道中に80歳になり入滅間近の時「これから私のなき後は自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と弟子達に云われました。
このことは、自分を決して神のような権威者とも、又神の仲保者とも考えず、ほかの人びとと共に同じ道を歩む同行の一人であると考えたからです。
仏弟子達はお釈迦さま入滅後、いわれた言葉の意味(法とは何か、同じ道とは何か)を深く考え、お釈迦さまを通して感じられた、宇宙全体をなりたたせている器(うつわ)のようなものだと思いました。
そしてこのあたたかい血の通った器を分析し、永遠のいのち(空間)と永遠のひかり(時間)を合わせたものであり、慈悲と智慧を兼ねそなえたものであるとの思いに到りました。(人としてのお釈迦さまがそこにあった。)こうした考えを具象化するため、人格的存在として阿弥陀仏としてあがめたのです。阿弥陀さまはそこから更に進化した仏として大乗仏教が興ってからはお釈迦さまとは別に阿弥陀仏としてあがめられたのです。
阿弥陀さまは主に浄土門のほとけさまとして「南無阿弥陀仏」と唱えれば、この仏によって民衆みなが救われると説かれ、既ちわれわれも仏になり、この念仏を唱えることにより、はじめて阿弥陀さまの属性である慈悲と智慧などすべてのものを生かすことの価値が実証されるというのです。
この両者の仏像を見分けるには、両手を開いているのが釈迦像で、印を結んでいるのが阿弥陀像です。