第100話 度しがたい(どしがたい)

仏教では、迷いと苦しみのこの世と、解脱(げだつ)してそういうものがなくなった涅槃(ねはん)世界とを対比させて、流れの激しい大河のこちら岸此岸(しがん)と、むこう岸彼岸(ひがん)とにたとえ、そこを渡す船が、いわば仏教の教えだとしました。この「彼岸に渡す」というのが「度す」ですが、苦しみから解放するというわけで、「救う」というニュアンスももっています。そこで、「救済」と「度」を一緒にした「済度(さいど)」という言葉も生まれました。「縁(えん)なき集生(しゅじょう)は度しがたい」といいますが、これは、いくらこちらのほうで救いの手をさしのべても、へんに我をはり、意地をはって、こちらに近づいてこようとしない人は、救いようがない、ということです。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より