第99話人間(にんげん)

このことばももとは仏教用語であったことは、「じんかん」とは読まずに「にんげん」と仏教独特の読み方をするところからも想像できます。語源としては諸説がありますが、インド古語サンスクリット語の「人」と「世間」を意味することばがひとつになって「人の住むところ」あるいは「そこに住むもの、つまり人のこと」をいいます。こういう言い方の背景には、輪廻するいきものの段階わけという考え方があります。仏教に限らずインドでは、その段階に、常に責めさいなまれている世界「地獄」、飢えに苦しむ「餓鬼」、「畜生」といわれる動物たち、戦いにあけくれる「阿修羅」、そして「人間」、「天上」という六種類があると考えられ、この六種類の段階は、死んだ後に生まれ変わっていく先であるから「六道」といわれています。この六道の中では、地獄が一番苦しみが多く、順々に少なくなり天上では苦しみがない。となれば、生まれ変わり先としては天上が一番良さそうですが、それほど気楽なものではないようです。天上にいるものも輪廻する生き物のひとつであるから絶対に死なないわけではないし、それ以上のものに生まれ変わることもない。つまり、天上に生まれたものが次には地獄に落ちるということもあり得るのです。逆に地獄の苦しみといえども永遠に続くわけではないから、いま地獄にいるものも次には人間に生まれ変わることもあるわけです。さて、何だかんだいっても、その気になりさえすれば、どんなに善いことでも、どんなに悪いことでも、あるいは輪廻から解脱することさえもできるのは人間しかいないのです。人間だけが自らの行動を自らの意思で決定づけることができるのであって、人間に生まれてよかったと思えるのも人間だからであり、いま生きていることはすばらしいことなのだということをよく考えてみましょう。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より