第114話 分別(ふんべつ)

「分別のある人だ」とか「不燃ごみの分別収集」というように使われる「分別」という言葉は、一般的には「ぶんべつ」と読まれ、ものの道理や常識をよくわきまえているとか、別々に分けて整理するという意味に使われます。仏教では「ふんべつ」と読み、語源は古代インドのサンスクリット語にありますが、全く反対の意味を持っています。例えば、頭を何かにぶつけたとします。その瞬間「痛い!」と間髪を入れず反射的に手はその痛い箇所にいくでしょう。「さて、左右どちらの手にしようか」と迷った末に「では右手でなでることにしよう」などと考えている人はいないはずです。もしそんな人がいたとしたら、その迷い考えている心理を、仏教では「分別している」といい、反射的にサッと動く状態を「無分別」といいます。分別している余裕などないことを言うのです。またもし、幼児が今まさに川へ転落しようとしているところを見れば、誰でも「危ない!」と叫んで、反射的に身をひるがえし、その子を助けようとするでしょう。とっさの事態に、とまどっている暇などないからです。すなわちこの心理状態が「無分別」なのです。「分別」していたら幼児を助けることはできません。迷いやためらいの分別心を離れること(無分別)が仏教では大事なのだというわけです。つまり、人は無分別になった時、正しい行動が取れていれば「さとった」ということになるのですが、「あなたは無分別な人だ」と言われて、「俺もさとりの境地に達したか」などと喜んでいられないのが現実です。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より