/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第44話 業(ごう) 「業」という字は一般的「農業」「工業」などと使われています。 また別の使われ方として「自業自得」「善業」「悪業」という場合もあります。前者は「仕事」という意味ですが、後者は「行為」という意味をもっています。人の行為を […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第43話 けんちん汁 物質文明を謳歌している現代社会において、物は豊になり「消費は美徳」などという言葉も生まれ、とかく物を粗末にする風潮があります。まだ十分に使える物を平気でポイと捨てて、もったいないとも何とも思わなくなり、物のいのちをいと […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第42話 外道(げどう) 「外道」という言葉は、一般にはきわめて強い軽蔑をあらわす言葉として「この外道め!」というように用いられています。外道とは「道の外」、道に外れたものを意味し、仏教では仏教以外の宗教をいうときに用いられました。 インドで […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第41話 玄関(げんかん) 昔は、よほどの家でないかぎり玄関を作らなかったもので、それだけに人々から珍しがられたり、うらやましがられたもののようです。今は時代が大きく変わり、一戸建ての家なら玄関を造るようになりました。さてこの玄関、本来は「玄妙な […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第40話 玄人(くろうと) いまは「その道の専門家」という意味に用いられていますが、もとは中国で使われていた仏教用語です。 「玄」(げん)は「黒」のことですが、「墨染の衣」(すみぞめ)というように、中国ではお坊さんは、基本的に黒い衣を着ていたの […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第39話 伽藍堂(がらんどう) からっぽで何もない状態のことを「中はガランドウだ」とか「ガラーンとしている」と言いますが、この言葉は「伽藍堂」が語源です。伽藍とは「僧伽藍」(そうぎゃらん)を略したもので、サンスクリット語(インド古語)の「サンガ」と「 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第38話 経営(けいえい) 「会社を経営する」「事業を経営する」などと使われている経営という言葉があります。一つの事業の基本目標を決めて、その目標に向かって努力し営むことを経営といいます。しかし本来は、自己の完成を目ざして、さまざまに工夫し努力を […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第37話 愚痴(ぐち) 言っても仕方ないことをくどくどと嘆くことを『愚痴をこぼす』と言います。いやなことや悩みがあったりしたときなど、心許せる親しい友人に、胸の内を聞いてもらいたくなるようなことは誰にでもあるでしょう。本来『愚痴』とは、物事の […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第36話 我慢(がまん) 「苦しくても我慢する」「やせ我慢」などと使われる「我慢」は、耐える、辛抱するという意味ですが、本来、辛抱とは全く関係のない言葉でした。「我」は自分、「慢」は慢心のことで、おごり高ぶる心を意味します。つまり、自分を高く評 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第35話 覚悟・自覚(かくご・じかく) 「覚悟」ということばは、一般的には「覚悟の上の〇〇」「もはやこれまでと覚悟しろ」などと使われています。この場合は観念する、あきらめる、心の準備をするという意味があります。 「自覚」は、自分自身の置かれている状態や能力、 […]