/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第17話 大袈裟(おおげさ) 「袈裟」(けさ)というのは、インド・サンスクリット語の「カシャーヤ」が中国に伝わり「袈裟」と音訳されたものです。茶色や褐色の薄汚れた感じの布を意味しましたが、やがて修行者の着ている衣のことをいうようになりました。 本来、 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第16話 愛嬌(あいきょう) 「愛」という字を分解すると、相手の「心」を「受」けると書きます。これは、相手の立場に立つ思いやりのことで、「敬」には、うやまう・つつしむという意味があり、「心の内に愛情をもって敬う」ということから、にこやかな親しみやすい […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第15話 悪魔(あくま) 単に「魔」ともいい、修行のさまたげになるもの、あるいは死にいたらしめるものを意味するサンスクリット語の「マーラ(魔羅)」を語源としています。伝説によると、お釈迦さまが修行をしているとき、悪魔の王パービーヤスが自分の三人の […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第14話 安心(あんしん) 安らかな心と書いて、「安心」。「あんしん」と読む場合と「あんじん」と読む場合があります。 心が安定している状態のことをいいますが、その反対の不安を考えてみると、心の持ち方ひとつなのですが、頼りにするものが頼りにならなくな […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第10話 意表 (いひょう) 意外なことが起きた時に「意表をつかれた」と使われます。 仏教には「業」(ごう)という考えがあります。これは行為を意味しますが、行為には、身体の行為と口の行為【しゃべること】と意の行為【心のはたらき】の三つがあります。これ […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第9話 意地 (いじ) 「意地悪」「意地を張る」「片意地」などと使われる「意地」という言葉があります。「意地」とは本来、素直な心のことで、何ものにもとらわれず、片寄らぬ純粋無垢の心、またはそのような心の状態だといっていいでしょう。 人間の体には […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第8話 浮き世 (うきよ) 私たちの人生には、とかく苦悩が多い。心の持ち方で何とか乗り超えてはいますが、住みにくい世の中であることは、いつの時代の人々も感じていたようです。それを称して古人は「憂き世」といったのですが、そうした受け止め方を、仏教では […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第7話 安心 (あんしん・あんじん) 安らかな心と書いて、「安心」。「あんしん」と読む場合と「あんじん」と読む場合があります。心が安定している状態のことをいいますが、その反対の不安を考えてみると、心の持ち方ひとつなのですが、頼りにするものが頼りにならなくなる […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第6話 挨拶 (あいさつ 人間関係すべて挨拶に始まって、挨拶に終わるといいます。 よそのお宅を訪問したとき、黙って入る人はいないでしょうし、帰るとき無言で立ち去る人もいないでしょう。「挨」は聞く、「拶」は交わるの意味があります。心を開きあい、ふれ […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第5話 諦める (あきらめる) 一般的には、どうにかしようという気持ちを捨てさせることで、消極的なマイナスイメージをもっていることばです。 この語は、仏教に起源をもっていますが、仏教では最高のプラスイメージをもったことばなのです。 「諦」は、「真実」を […]