第4話 有為転変 (ういてんぺん)

「有為」はインド古語のサンスクリット語に語源をもつ漢訳語です。「集まり和合してもろもろの条件によって作られたものが有為である。」と定義され、直接、間接の原因によって成立したこの世のあらゆる諸現象をいいます。そして作られたものは、無常で返遷するものであり、必ずや生滅を繰り返すという考え方が仏教の世界観の基礎にあります。
例えば、仏教の教える真理を示すものとして「諸行無常。(しょぎょうむじょう) 諸法無我。(しょほうむが) 一切皆苦。(いっさいかいく) 涅槃寂静。(ねはんじゃくじょう)」のことばがあります。「諸行」は「有為」と同じであり、作られたものを意味します。これらを訳すと「もろもろの作られたもの、この世のあらゆる存在、現象は永遠の存在ではなく、過ぎ去るものである。これは生じては滅びるという性質、さだめをもったものである。生じては滅びるという境地や状態が、滅び去ってなくなると、そこには静かな寂滅の境地が現れる。それこそが真実の安らぎである。」ということです。これを歌として作られたのが「いろは歌」で、「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」。超越してゆかねばならないこの無常の世界が、ここでは「有為」の奥深い世界にたとえられています。
『平家物語』の冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」。
また、『方丈記』の一節には「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし、世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」などにみられる心情は、一切が無常であり滅びゆくことや、はかなさをなげいて、この無常の世界を超越していこうという力強さはみられません。
「有為転変」とは、日本的心情を示すことばとなってしまったのです。
「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師、著より