第105話 平等(びょうどう)
『平等』とは、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」とあります。神の前にすべての人は平等であり、法の下にすべての人は平等であるというのが欧米流の近代社会の通念となっています。ところが現実的には昔からの慣習や偏見、利害と思惑などのためにさまざまな問題を含んでいるのが『平等』という言葉です。
この言葉ももとは仏教用語です。インドには、古くからカースト制という身分制度がありましたが、お釈迦さまはいかなるものも本来は差別がないとしてこの制度を否定しました。また、仏教では慈悲ということが強調され、仏さまはいっさいの生きとし生けるものすべてを何の差別、分け隔てなくいとおしんでくださると考えられ『平等大悲』という言葉もあります。また、平等は悟りの境地、または真実の世界を指し、『善悪平等』という考えがあります。悪事をやめて善行を積まなければならないのは当然ですが、真実の世界からすれば、善もなければ悪もない。善悪を分けるというのは、われわれの分別心によるものであって、これによって善だ、悪だといって執着し、迷いを生じ、そして結局は悩み苦しむのだといいます。本来ものごとはものごとであるにすぎないのに、私たちの方で区別したり、差別してしまうのです。一切の執着を捨てたところには善も悪も、苦も楽もなく、ものごとには、いっさいの差別がないのです。このことを平等といいます。『平等心』とは、とらわれのない心のことです。
静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より