第111話 不借身命(ふしゃくしんみょう)

以前、貴乃花が横綱昇進の挨拶で有名になった言葉ですが、その意味するところは甚だ深いものがあります。仏教で「身命を捧げる」という場合、絶対的な自己犠牲を行うときに用います。この言葉は、単なる心構えのレベルではなく仏教修行、信仰のために身も心も捧げ尽くす、という覚悟を示す言葉なのです。仏教経典には、このような心構えを比喩や物語のかたちで表現されています。特に、『ジャータカ物語』と呼ばれるお釈迦さまの出生にまつわるさまざまな物語の中には、悟りを開くため、あるいは教えを聞くために、自らの体を犠牲にした話が多数つづられています。また、孫悟空で有名な『西遊記』の三蔵法師(玄奘)は、事実、身の危険も顧みず、唐(中国)の都、長安からインドまで前後十七年間にわたって決死の旅を行い、仏教経典を中国に伝えたのでした。道のために、身も心も捧げ尽くすという真摯で一途な姿勢こそ、「不惜身命」という言葉の真意なのです。

静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より