第124話 滅相(めっそう)
「そんな滅相なことはできません」とか「私がやったなんて滅相もない」などと使われている「滅相」とは、とんでもない、意外な、法外なという意味を表しています。
仏教経典にも出てきますが直訳すれば、「滅」は消え去ることで、「相」は姿・形のことです。すなわち現在の姿や形を全くなくしてしまうという意味になります。悩みや苦しみなどの煩悩を払拭して、すがすがしく解放された状態のことをいいます。つまり、澄みきった、さわやかな心のことです。
私たちの日常は、とかく自己中心的なエゴに振り回され、欲望や苦悩に満ちた日々を繰り返しています。そうしたわがままな心を反省して、自分本位の物差しでものごとを見ずに、また自分勝手な判断や処理をすることなく、素直に仏様の教えに照らして対処してゆけば、大局的な見方でものごとに対応することもできるし、また長い目でその先を見つめることもできるというわけです。そうした心構えや気配りによって、おのずと心の安定も得られ、苦悩や迷いといった状態から脱して、「滅相」の境地に達することができるでしょう。
仏様の姿のことを「滅相」ともいいますが。清浄な心や姿のことをいっているのです。しかし、現実はそんななまやさしいものではなく、「滅相」の境地にたどり着くのは、それこそ『滅相もない』ことかもしれません。
静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より