/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第64話 出世(しゅっせ) 「彼もいよいよ部長になった。たいそう出世したものだ。」 「同級生では出世頭だ。」と使っている『出世』という言葉は、ほめ言葉のひとつとして使われ、世の中に出て立派な地位、身分になることを意味しています。本来は、人々を救う […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第63話 舎利(しゃり) お寿司屋さんでニギリにつかう米のご飯のことをシャリといいます。また、昔は米は非常に高価で、一般庶民の口にはなかなか入りませんでした。たまに白米のご飯にあり つけると「銀シャリ」といって、その光沢に感激したといわれていま […]
/ 最終更新日時 : 2024年8月24日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第62話 娑婆(しゃば) 『娑婆』はインドの古語サンスクリット語の『サハー』をそのまま音訳したもので、娑婆という漢字そのものには何の意味もありません。私たちが住んでいるこの世の中、現実の世界のことです。『サハー』には、「堪え忍ぶ」という意味と「大 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第61話 邪険(じゃけん) のけ者にされたり、意地悪をされたりすることを「邪険にされる」といいますが、本来は「邪見」と書き、邪(よこしま)な見方で、間違った見方・考え方のことです。世の中の現象はすべて原因が あって結果が生じます。原因がない結果な […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第60話 慈悲(じひ) 映画やテレビの時代劇などに「お慈悲を」とか「無慈悲な」または「慈悲は受けぬ」などというせりふがよく使われます。 「おなさけ」「あわれみ」「おめぐみ」の意味に用いられ、「安っぽいあわれみの情」という響きをもっています。し […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第59話 自然(しぜん) 古くから「しぜん」、「じねん」と両方に読まれ、山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象のことをいいますが、仏教では「じねん」と読んで、「あるがまま」とか「おのずから」という意味で使われま […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第58話 自業自得(じごうじとく) 「誰の責任でもない。本人が勝手に望んでやった報いなのだから、自業自得だ」というように用いられます。この言葉は、サンスクリット語の漢訳語で直訳すると「自分の行ったものごとを自分で獲得すること」となります。なにかを言ったり […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第57話 四苦八苦(しくはっく) 大変苦労をしたことを「四苦八苦してしまった」といいます。 四区とは「生、老、病、死」の四つの苦です。「生苦」は生き ていく上での苦のことで、人は、その人生という旅路の中で、 困難な問題に直面し、またさまざまな苦労を体験 […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第56話 三昧(さんまい・ざんまい) ひとつのことに熱中している状態のことを、よく「○○ざんまい」といいます。たとえば釣りに熱中しているならば「釣三昧」、野球ならば「野球三昧」などです。この「三昧」という言葉はインドの古代 語、サンスクリット語の「サマーデ […]
/ 最終更新日時 : 2019年5月12日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第55話 懺悔(さんげ・ざんげ) 悪いことをした場合に、「懺悔する」とか「懺悔して改心する」などと使われるこの言葉は、過去に犯した罪悪を神仏などに告白し、反省して悔い改めるという意味です。この語を一般には「ザンゲ」と発音しま すが、仏教では「サンゲ」と […]