/ 最終更新日時 : 2021年2月26日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第117話 魔(ま) 「魔がさす」などと用いられるこの語は「悪魔」と同じ意味で、インド古語サンスクリット語の「マーラ」を語源とし、「死にいたらしめるもの」というのが元々の意味です。修行をきちんとおこなえば解脱できるわけですが、インドの古い文献 […]
/ 最終更新日時 : 2021年2月1日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第116話 法螺(ほら) 「彼の言うことはホラばかりで信用できない」とか「大ボラを吹く」というホラは、うそとか大げさなことという意味で使われています。法螺というのは法螺貝のことで、正しくは螺貝と書き、大きな巻き貝のことです。インドでは吹奏楽器のひ […]
/ 最終更新日時 : 2020年11月29日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第115話 方便(ほうべん) 「うそも方便」といった使い方で、一般的には、うそをつくことも、時と場合によっては必要である、という意味に解されています。この場合の「方便」は「便宜的な手段」の意味です。うそをつくのは常識的に考えてよいことではないのですが […]
/ 最終更新日時 : 2020年10月28日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第114話 分別(ふんべつ) 「分別のある人だ」とか「不燃ごみの分別収集」というように使われる「分別」という言葉は、一般的には「ぶんべつ」と読まれ、ものの道理や常識をよくわきまえているとか、別々に分けて整理するという意味に使われます。仏教では「ふんべ […]
/ 最終更新日時 : 2020年10月1日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第113話 不退転(ふたいてん) よく政治家の先生方が「不退転の決意で、断固実行あるのみです」などと用い、おなじみの言い回しではありますが、現在ではこの言葉を用いる人々の姿勢が、まったく猫の目のように変わるので、この言葉の意味もあいまいになってしまいそう […]
/ 最終更新日時 : 2020年8月28日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第112話 普請(ふしん) 家を建てるとか、道路を補修することを「家普請」とか、「道普請」といいますが、最近は「建築」とか「道路工事」という表現が多くなってきて、「普請」という言葉も聞かれなくなりました。昔は、家を建てたり、道路を補修するときは、近 […]
/ 最終更新日時 : 2020年8月14日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第111話 不借身命(ふしゃくしんみょう) 以前、貴乃花が横綱昇進の挨拶で有名になった言葉ですが、その意味するところは甚だ深いものがあります。仏教で「身命を捧げる」という場合、絶対的な自己犠牲を行うときに用います。この言葉は、単なる心構えのレベルではなく仏教修行、 […]
/ 最終更新日時 : 2020年7月3日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第110話 無事(ぶじ) 病気や事故など、何事もなく平穏なことで、「ご無事でなによりです」とか「ご無事でお過ごしですか」などと日常的によく使われる言葉です。また「仕事が無事終わった」とも使われます。この「無事」も仏教の言葉から転用されたもので、一 […]
/ 最終更新日時 : 2020年5月30日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第109話 不思議(ふしぎ) 「世にも不思議なできごと」とか「実に不思議な現象だ」というように使われる「不思議」という言葉は、一般的には、奇跡的なとか、思いがけないとか、考えられないなどの意味に使われています。 語源は古代インドのサンスクリット語で、 […]
/ 最終更新日時 : 2020年5月30日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第108話 般若 (はんにゃ) 般若というと、恐ろしい形の鬼女のお面を連想する人が多いことでしょう。なぜ鬼女の面を般若とよぶようになったかは定かではありませんが、奈良の般若坊という人が作り始めたからともいわれています。般若はインド古語サンスクリット語の […]