/ 最終更新日時 : 2021年11月2日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第124話 滅相(めっそう) 「そんな滅相なことはできません」とか「私がやったなんて滅相もない」などと使われている「滅相」とは、とんでもない、意外な、法外なという意味を表しています。 仏教経典にも出てきますが直訳すれば、「滅」は消え去ることで、「相」 […]
/ 最終更新日時 : 2021年9月30日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第123話 迷惑(めいわく) 「こんなことをされては迷惑だ」とか「人に迷惑をかけてはいけない」などと日常使われている「迷惑」とは、自分または相手にとって不利益になる、あるいは負担になって困るという意味に用いられていますが、字のとおり直訳すれば、迷い惑 […]
/ 最終更新日時 : 2021年8月27日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第122話 無学(むがく) 「無学なもので、おはずかしいかぎりです。」というふうに用いられるこの言葉は、本来の意味からすれば、おはずかしいどころではなく、だれもが求めてやまない理想だったのです。「無学」の本当の意味は「学がない」ではなく「もはや学ぶ […]
/ 最終更新日時 : 2021年7月29日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第121話 無我(むが) 日常使っている言葉に「無我夢中」とか「無我の境地」という語があります。「無我夢中」は「ある物事に熱中して他の物事を顧みないこと」。「無我の境地」は「自分の存在を意識しない状態」と説明されています。 「我」とは一般的には自 […]
/ 最終更新日時 : 2021年7月5日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第120話 微塵(みじん) 「木端(こっぱ)微塵にくだく」「ニンジンをみじん切りにする」「そんなつもりは微塵もない」などと用いられる「微塵」は、インド古語サンスクリット語を語源としている言葉で、「小さな」を意味します。もはやこれ以上小さなものはない […]
/ 最終更新日時 : 2021年5月31日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第119話 冥利(みょうり) 「冥」は、暗やみで何も見えないこと。「利」は、利益、加護のこと。「神仏が知らず知らずのうちに与える恩恵。善い行ないの結果として受ける利益のこと」と辞書にはあります。私たちは、この目では直接見えないさまざまなおかげ(助力) […]
/ 最終更新日時 : 2021年4月2日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第118話 摩訶不思議(まかふしぎ) 「摩訶」という言葉は、インド古語サンスクリット語の「マハー」の音訳で、「大きい」とも「多い」とも「勝れた」とも意訳することができます。ならば「大不思議」」とでも訳しておいてもらえば分かりやすいものを、なぜ「摩訶」という意 […]
/ 最終更新日時 : 2021年2月26日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第117話 魔(ま) 「魔がさす」などと用いられるこの語は「悪魔」と同じ意味で、インド古語サンスクリット語の「マーラ」を語源とし、「死にいたらしめるもの」というのが元々の意味です。修行をきちんとおこなえば解脱できるわけですが、インドの古い文献 […]
/ 最終更新日時 : 2021年2月1日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第116話 法螺(ほら) 「彼の言うことはホラばかりで信用できない」とか「大ボラを吹く」というホラは、うそとか大げさなことという意味で使われています。法螺というのは法螺貝のことで、正しくは螺貝と書き、大きな巻き貝のことです。インドでは吹奏楽器のひ […]
/ 最終更新日時 : 2020年11月29日 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第115話 方便(ほうべん) 「うそも方便」といった使い方で、一般的には、うそをつくことも、時と場合によっては必要である、という意味に解されています。この場合の「方便」は「便宜的な手段」の意味です。うそをつくのは常識的に考えてよいことではないのですが […]