/ 最終更新日 : 12月 10, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第105話 平等(びょうどう) 『平等』とは、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」とあります。神の前にすべての人は平等であり、法の下にすべての人は平等であるというのが欧米流の近代社会の通念となっています。ところが現実的には昔からの慣 […]
/ 最終更新日 : 5月 30, 2020 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第104話 微妙(びみょう・みみょう) 『微妙』は一般的には「びみょう」と読みます。『広辞苑』には「美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさま。細かい所に複雑な意味や味が含まれていて、何とも言い表しようのないさま。」と載っています。この言葉も、もとはサンスク […]
/ 最終更新日 : 9月 30, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第103話 皮肉(ひにく) 私たちはふだんの生活の中で、人から皮肉を言われたり人に皮肉を言ったりすることがよくあります。この場合の「皮肉」とは、遠回しに意地悪く弱点などを言うことで、あてこすりとか、いやみといってもよいでしょう。しかし、仏教でいう場 […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第102話 彼岸(ひがん) 昔から『暑さ寒さも彼岸まで』と言われているように、三月や九月になると、しだいに過ごしやすくなってまいります。このお彼岸という行事は春と秋の二回営まれます。それぞれ春分、秋分の日を中心にして、各七日間を「彼岸会(ひがんえ) […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第101話 馬鹿(ばか) 日常的によく使われることばですが、語源としては馬と鹿を見間違ったからなどといわれています。諸説があるものの、インド古語サンスクリット語の「モーハ」を語源としているという説が有力です。モーハは、中国において「莫迦」「婆伽」 […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第100話 度しがたい(どしがたい) 仏教では、迷いと苦しみのこの世と、解脱(げだつ)してそういうものがなくなったの涅槃(ねはん)世界とを対比させて、流れの激しい大河のこちら岸此岸(しがん)と、むこう岸彼岸(ひがん)とにたとえ、そこを渡す船が、いわば仏教の教 […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第99話 人間(にんげん) このことばももとは仏教用語であったことは、「じんかん」とは読まずに「にんげん」と仏教独特の読み方をするところからも想像できます。語源としては諸説がありますが、インド古語サンスクリット語の「人」と「世間」を意味することばが […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第98話 柔軟(にゅうなん) 「柔軟に対処する」とか「柔軟に受け止める」などというように使われる『柔軟』は、一般には「ジュウナン」と読みますが、仏教では「ニュウナン」といいます。『法華経(ほっけきょう)』というお経の中に出てくる言葉で「質直意柔軟(し […]
/ 最終更新日 : 9月 2, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第97話 入院(にゅういん) 日常生活の中で「入院」「退院」の語はよく使われますが、この場合の入院とは病気や負傷を治療するために、ある期間病院に入ることで、退院とは病気や負傷が治って、自宅に戻ることをいいます。 院には、垣根という意味があり、垣根に囲 […]
/ 最終更新日 : 5月 12, 2019 takegami 仏教から生まれた日常の言葉 第96話 兎角(とかく) 「とかく」を「兎角」と書くのはあて字です。「兎角に人の世は住みにくい」と夏目漱石も言っていますが、あれこれとか、ともすれば、とにかくといったように使われる兎角。ありえないもの、あるいはありえないのにあると見てしまうもの […]